いつの日かゲーテ街道を旅するために

自己紹介風に

はじめまして。黒豆珈琲の修行時代と申します。

私は普段は会社員をしておりますが、仕事の傍ら、日々ドイツ語の学習に励んでいます。

なぜかと言いますと、私には夢があるからです。

それはどのような夢かと言いますと、いつの日かゲーテ街道を旅し、「私もあなたのように自分の人生を精一杯生きています」とゲーテに伝える。そのような夢です。このブログはその夢への道のりの記録です。

ゲーテは私にとって特別な作家です。ゲーテの言葉に幾度も支えられながら、私は、これまでの人生を生きてきました。

ドイツには「ゲーテはすべてを語った」という諺が存在するようです。それほど、ゲーテはこの世の中のありとあらゆることを深く洞察し、考えた人物であるということだと思います。

ゲーテの言葉に励まされ、元気づけられ、生きる力をもらってきた人間はおそらく数え切れないほどいることでしょう。

いうなれば、私もそのような人間の中の一人ということになります。

しかしながら、出会いというものはどんなものであれ、とことんまで個別具体的なものであり、そこに一つとして全く同じ意味を持つようなものはありません。なので私は、私の出会いを語ることに、自分の生きた時間を刻みたいと思います。

さて、私が初めてゲーテの言葉に触れたのは、「ゲーテ格言集」(新潮社)という本でした。

それは大学に入りたての頃だったと記憶しています。その本は不思議な本でした。ランダムにページを開いてみたにも関わらず、ちょうど目に飛び込んできた言葉が、なぜか自分が現在抱えている悩みへのヒントとなるような、そんな不思議な本でした。

そしていつしか気がつくと、ページには無数の線が引かれ、大量の付箋が挟まれ、表紙は色が薄れてボロボロになっていました。

その本を私はどこへいくにも鞄に忍ばせていたように思います。握りながら眠りについたこともあります。

「ゲーテ格言集」には、格言の下に出典となる作品名が記されています。私は、そこに記されている作品を順に辿るようにして、ゲーテの世界にみるみるうちにのめり込んで行きました。

あるとき、私はふと疑問に思いました。

ただ人生を漫然と生きているような人間には、言葉にあれだけの意味を込めることはできない、できるはずがない。数行の言葉の裏で、ゲーテはいったいどれだけの苦悩を戦い抜いてきたのだろうか、と。

その疑問を解くために、私はゲーテの伝記や自伝などを出来る限り、読み漁りました。

そして、ゲーテの偉大な人生を知ったのです。

そこには、間違いなく、自分の人生を真摯に生き切った人間の姿がありました。

私はその姿に圧倒されたのです。その発見が私を、ますますゲーテという人間に強く惹きつけました。なによりも、私自身の生き方を大きく変えました。

自分も、ゲーテのように、人生を真摯に精一杯生き抜こうと心に誓ったのです。

ゲーテの言葉は、いつでも、私にとって夜空に浮かぶ北極星でした。

いつも変わらなくてこそ、ほんとの愛だ。一切を与えられても、一切を拒まれても、変わらなくてこそ。

ゲーテ『ゲーテ格言集』、高橋健二編訳、新潮社

この言葉は、決して叶わない恋をしてしまったあの頃の私を、どれだけ正しい方角へと導いてくれたことでしょうか。

このブログは、ゲーテへの限りない敬愛の念を胸に、仕事の傍ら、日々ドイツ語の学習に励む私が、いつの日か、ゲーテ街道を旅し、「私もあなたのように自分の人生を精一杯生きています」と伝えに行くまでの記録です。

その道中で、ゲーテについて、ドイツ語について、ゲーテに関係するあらゆる人物やものごとについて、また日々の仕事や生活での気づきや学びについて、発信していきたいと考えています。

長旅になるかと思いますが、どうか温かく見守って頂けますと幸いです。

学んだこと『自己紹介とは、出会いと希望を語ること』

コメント

タイトルとURLをコピーしました